私は筋肉を見ていない
こんなことを言うと、
「いやいや、講師をしているのに?」
と思われるかもしれません。
もちろん筋肉は見ています。
骨も関節も筋膜も靱帯も見ています。
ですが、私が見ているのはそれらだけではありません。
むしろそれらだけを見ていた頃の方が、身体が見えていなかったように思います。
セラピストになりたての頃は、とにかく筋肉を覚えることに必死でした。
起始停止。作用、神経支配。
筋膜のつながり。
解剖学を学べば学ぶほど、お客様の身体が理解できるようになると思っていました。
もちろん、それは間違いではありません。
解剖学はとても大切です。
今でも私は学び続けています。
ですが、現場に立ち続けて感じることがあります。
「人の身体は筋肉だけでは説明できない」ということです。
例えば、肩が凝っている人がいるとします。
僧帽筋が硬い。
肩甲挙筋も張っている。
胸鎖乳突筋も緊張している。
解剖学的に見るとそうかもしれません。
でも私はそこだけを見ていません。
その人は最近よく眠れているのだろうか。
呼吸は浅くなっていないだろうか。
何か我慢していることはないだろうか。
仕事で責任を抱えすぎていないだろうか。
どんな性格なのだろうか?
考え方の癖は?
そういうことも一緒に見ています。
なぜなら同じ肩こりでも、背景がまったく違うからです。
身体はその人の生き方を映します。
呼吸の仕方。歩き方。座り方。
考え方。口癖。話し方。
緊張の癖。
全部が身体に現れます。
だから私は筋肉だけを見ていません。
例えば呼吸。
私は施術中、お客様の呼吸をよく見ています。
呼吸が浅い人は、肋骨の動きが少なくなります。
横隔膜の動きも制限されます。
すると首や肩が頑張り始めます。
胸鎖乳突筋や斜角筋が呼吸の補助をし続ける状態になります。
結果として肩こりや首の緊張が生まれることもあります。
この時、
肩が凝っているから肩を触る。
という考え方もあります。
足裏からの筋膜ルートを整えるという方法だってあります。
でも私は、
なぜその肩が頑張らなければいけなくなったのかを考えます。
筋肉を見ているようで、実は呼吸を見ている。
呼吸を見ているようで、実はその人の生活を見ている。
そんな感覚です。
解剖学を学び始めた頃は、
知識が増えれば答えが増えると思っていました。
でも今は逆です。
知識が増えるほど、身体の奥深さを感じます。
むしろ経験を積むほど、
「胸鎖乳突筋だからこう」
「僧帽筋だからこう」
そんな単純な話ではないことを知ります。
知識が増えるほど、一つの筋肉だけでは語れないことが分かってきます。
だから私は筋肉を見ていません。
正確に言うなら、
筋肉だけを見ていません。
筋肉の向こう側にあるものを見ています。
その人の呼吸。
その人の姿勢。
その人の習慣。
その人の人生。
身体はその人そのものだからです。
だから私は身体を見ているようで、人を見ているのかもしれません。
だから施術は面白い。
同じ肩こりでも、
同じむくみでも、
同じたるみでも、
まったく同じ人は一人もいません。
私は明日もお客様のお身体を触ります。
でも見ているのは筋肉だけではありません。
その人自身を見ながら施術をしているのだと思います。
身体を見ているようで、
人を見ている。
それが私の施術なのかもしれません。

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